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【施政方針演説】全文(7完)むすび「かたときも忘れることなく…」(産経新聞)

いのちを守りたい。

私の友愛政治の中核をなす理念として、政権を担ってから、かたときも忘れることなく思い、ますます強くしている決意です。

今月17日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。15年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。

式典で、16歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました。


地震で、家が倒壊し、2階に寝ていた息子が瓦礫(がれき)の下敷きになった。

積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板を

とん、とん、とんと叩(たた)く音がする。 

何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、30分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。

「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。」

これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。


息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。災害列島といわれる日本の安全を確保する責任を負う者として、防災、そして少しでも被害を減らしていく「減災」に万全を期さねばならないとあらためて痛感しました。

今、神戸の街には、あの悲しみ、苦しみを懸命に乗り越えて取り戻した活気が溢(あふ)れています。大惨事を克服するための活動は地震の直後から始められました。警察、消防、自衛隊による救助・救援活動に加え、家族や隣人と励ましあい、困難な避難生活を送りながら復興に取り組む住民の姿がありました。全国から多くのボランティアがリュックサックを背負って駆け付けました。復旧に向けた機材や義捐金(ぎえんきん)が寄せられました。慈善のための文化活動が人々を勇気づけました。混乱した状況にあっても、略奪行為といったものはほとんどなかったと伺います。みんなで力を合わせ、人のため、社会のために努力したのです。

あの15年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。

今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域のNPO法人の尽力で建てられた「鉄人28号」のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。

いのちを守るための「新しい公共」は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。

人のいのちを守る政治、この理念を実行に移すときです。子どもたちに幸福な社会を、未来にかけがえのない地球を引き継いでいかねばなりません。

国民の皆さま、議員の皆さん、輝く日本を取り戻すため、ともに努力してまいりましょう。

この平成22年を、日本の再出発の年にしていこうではありませんか。

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